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大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)460号 判決

控訴人 原告 北野易治

訴訟代理人 谷上政次

被控訴人 被告 豊島武夫

訴訟代理人 松永二夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し大阪市城東区永田西一丁目一六番地の四宅地六一坪四合五勺につきなされた大阪法務局布施出張所昭和三五年二月五日受付第二四三六号所有権移転請求権保全仮登記および同出張所昭和三五年八月一二日受付第二二七四五号所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実の主張、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほかは、原判決事実摘示(原判決中西川芳太郎とあるは西井芳太郎の誤記につき訂正)のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人の主張

本件宅地の昭和三五年一月当時の市価は二〇〇万円以上、同年八月当時の市価は三〇〇万円位であった。したがつて、仮に、被控訴人主張の代物弁済予約ならびに代物弁済契約成立の事実ありとしても、右契約は市価よりはるかに低い額の債務の弁済に代え本件宅地の所有権を取得することを内容とするものであるからそのこと自体公序艮俗に反し無効である。右契約か平穏かつ公然に行なわれたとの点は争わない。

二、被控訴人の主張

(1)、本件宅地の代物弁済予約は昭和三五年一月末日控訴人の代理人訴外松本泰三、同岸田三雄と被控訴人の代理人米沢初次郎との間に締結せられたものである。

(2)、右予約は、訴外旭アシツド工業株式会社(以下単に訴外会社という)か被控訴人に対し、手形割引きにより現在および将来負担すべき債務全部につき控訴人か個人保証をなし、右手形債務の不履行の場合に本件宅地を代物弁済として提供することを内容とするものである。

(3)、右予約を原因として昭和三五年二月五日本件宅地につき仮登記を経由したか、その当時既に被控訴人は右訴外会社に対し、金一、七一五、〇〇〇円の債権を有していた。

(4)、昭和三五年八月一〇日頃被控訴人の代理人米沢初次郎は控訴人の代理人松本泰三、同岸田三雄に対し、前記訴外会社振出しにかかる既に履行期の到来した手形債務一七〇万円とその利息の弁済に代え本件宅地の所有権を取得する旨代物弁済予約完結の意思表示をなした。のみならず、その際右当事者双方の代理人間に右の内容の代物弁済の合意が成立した。

(5)、かりに、訴外松本、岸田が本件代物弁済予約締結、予約完結の意思表示の受領、あるいは代物弁済の合意について控訴人を代理してこれをなす権限を有していなかつたとしても、右は権限踰越行為というべきところ、被控訴人の代理人米沢はその権限ありと信ずべき正当理由を有していた。すなわち、右訴外人等は被控訴人に対し、控訴人を代理して前記訴外会社の債務五五万円の限度ではこれにつき控訴人が個人保証をなし、控訴人所有の本件宅地を担保に供する権限を有していたのである。そして訴外松本は、控訴人と同じく訴外会社の代表取締役であり、控訴人より本件宅地の権利証、控訴人名義の委任状、同人の印鑑証明書を託されていたほか、控訴人の印を押捺した本件宅地についての代物弁済に関する承諾書(乙第四号証)等を所持していた。被控訴人の代理人米沢はこれらの事由により訴外松本同岸田に控訴人を代理して本件代物弁済の予約ないし代物弁済の合意をなす権限ありと信じたし、そう信ずるについて過失はなかつたというべきである。

三、被控訴人の右主張に対する控訴人の答弁

被控訴人主張の右二(1) 、(2) の各事実は否認する。同(3) の事実中、本件宅地につき被控訴人主張の仮登記の存する事実は認めるか、その余は不知、同(4) の事実は否認する。同(5) の事実中、控訴人が被控訴人の代理人米沢に対し、訴外会社の手形債務五五万円について個人保証をなし、担保として本件宅地の権利証、白紙委任状、印鑑証明書を交付した事実は認めるが、その余は否認する。

理由

一、控訴人が本件宅地を訴外藤田庄治郎より買い受け、その所有権を取得したこと、右土地につき被控訴人のため、大阪法務局布施出張所昭和三五年二月五日受付第二四三六号をもつて、同年一月三〇日代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記および同出張所昭和三五年八月一二日受付第二二七四五号をもつて、同年八月一〇日代物弁済を原因とする所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがない。

控訴人は右各登記はいずれも控訴人の意思によらない無効の登記原因に基づくものであると主張するので考察する。

二、仮登記の原因について、

被控訴人は、「控訴人から訴外会社の被控訴人に対する現在ならびに将来生ずべき手形債務につき個人保証をする旨の申出でがあり、昭和三五年一月末日控訴人の代理人の松本泰三、同岸田三雄と被控訴人の代理人米沢初次郎との間に、訴外会社の右債務につき控訴人において個人保証をした上、右手形債務の不履行の場合に本件宅地を代物弁済することを内容とする予約が成立したので、被控訴人は、右松本等から交付を受けた控訴人の委任状、印鑑証明書、本件宅地の権利証等を使用して所有権移転請求権保全のため仮登記をしたものである」と主張する。乙第四号証(控訴人が訴外会社の手形債務につき訴外松本、同岸田等と連帯して支払の責に任ずる旨記載した昭和三五年一月一〇日付承諾書と題する書面)中控訴人の関係部分以外の部分については原審における証人米沢初次郎の証言によつて真正に成立したものと認められるし、控訴人名下の印か同人の印であることについては同人の認めるところであるから、一応右書証中控訴人関係部分も真正に成立したものと推定される。しかしながら、原審における控訴本人の供述、ならびに弁論の全趣旨を総合すると、右書証中控訴人関係部分は控訴人の意思に基づいて作成せられたものではないことを認めるに十分であるから、右関係部分は形式的証拠力を有しえない。その他に控訴人が被控訴人に対し同人主張のような前記申出でをした事実を認めるに足る証拠なく、また訴外松本、岸田か控訴人より被控訴人主張のような代物弁済予約をなす権限を与えられていたと認めうべき証拠は本件にない。

そこで次に被控訴人主張の表見代理について判断を進める。

訴外会社が被控訴人の代理人米沢初次郎から、右訴外会社振出しの額面五五万円の手形により金融を受けるに際し、個人保証をなすことを承諾し、右米沢に対しその担保として本件土地の権利証を預け、白紙委任状に署名して交付したことは控訴人の自陳するところである。そして原審における証人松本泰三の証言および控訴本人の供述によると、控訴人は被控訴人ならびに米沢と会つたことなく、右額面五五万円の訴外会社振出しの手形の割引手続き及び控訴人の保証債務締結手続きは同会社の代表取締役である松本がしたのであり、右本件土地の権利証白紙委任状は控訴人が松本を介して被控訴人の代理人米沢に交付したものであること、控訴人はそのほか同人の印鑑証明書をもその際同じく松本を介し米沢に交付した事実が認められる。以上の事実によれば、松本は、訴外会社が被控訴人より前記五五万円の手形により融資を受けるにあたり控訴人がその個人保証をなし、訴外会社の右手形債務を担保するため本件宅地に少なくとも被控訴人を権利者として抵当権を設定することについては、控訴人を代理する権限を有していたと認むべきである。右の事実と成立に争いない甲第七号証の一、同第八号証、原審における証人米沢初次郎の証言により真正に成立したものと認める同第三号証、原審における証人松本泰三、同米沢初次郎の各証言、原審における被控訴本人の供述ならびに前顕乙第四号証中真正に成立したと認められる部分および同号証中控訴人名下に控訴人が自己の印であることを認める印が押捺してある事実、成立に争いない乙第五号証などを総合すると、次の事実が認められる。「訴外会社は松本泰三の前任者谷口源之助がその代表取締役をしていた当時から米沢を介し、被控訴人に訴外会社振出しの手形の割引きを依頼し、その融資を受けていた。控訴人は昭和三四年一一月三〇日訴外会社の取締役に就任し、次で松本泰三とともに昭和三四年一一月三〇日訴外会社の代表取締役に就任し、昭和三六年六月三〇日に代表取締役のみ辞任した。控訴人が代表取締役に就任してから訴外松本の訴外会社のためにする融資の申込みが増額したので、被控訴人は担保を要求したところ、訴外会社の代表取締役である控訴人および松本ならびに訴外会社の取締役岸田三雄ほか一名がともども連帯保証をなし、かつ松本は控訴人の代理人として、物的担保として控訴人所有の本件宅地につき代物弁済の予約をなす旨申し入れ、その関係書類として、控訴人名義の前記権利証、印鑑証明書、委任状(甲第七号証の一、ただし本件物件の表示のみ記入、その余の事項は白紙のもの)のほか、前記承諾書(乙第四号証)を被控訴人に差し入れた。訴外松本は被控訴人から額面五五万円の訴外会社振出しの約束手形の割引きを受けるにあたり従来の訴外会社の債務とともに担保の差入れを求められたのであるが、その事実を控訴人に秘し、控訴人に対しては金五五万円の融資に関してのみ使用するかのごとくに申し置き、被控訴人の代理人米沢に対しては完全な代理権を有する旨を表示し、かつ、そのように行動した。前記のごとく訴外米沢は訴外松本と従来から交渉取引があり、控訴人の印を要求するとすぐこれに応じたので訴外米沢としては、松本になんら疑いを持たずこれを信用した。」以上の事実が認められる。右各認定を左右する証拠はない。

そうだとすれば、本件代物弁済予約は被控訴人の代理人米沢と松本泰三との間に締結せられたのであり、その際松本は右予約を控訴人の代理人としてなしたのであるが、それは控訴人より与えられた代理権の範囲を越えるものであつた。しかしながら、米沢は松本が本件代物弁済予約の締結について控訴人を代理する権限を有することを信じ、かつ、そのように信ずるにつき正当な事由があつたと認めることができる。

控訴人は、松本の代理権につき、被控訴人が控訴本人について、確める手段を講じないでこれを信じたのは故意または過失がある旨主張し、被控訴人あるいはその代理人米沢において右照会の労をとらなかつたことは被控訴人の争わないところである。しかし、控訴人が本件代理権を与えたのは控訴人とともに訴外会社の代表取締役に就任した松本泰三である。被控訴人の代理人米沢はほかならぬその松本泰三に従来から訴外会社のための金融をはかつてきていたのである。訴外会社のためにする本件融資に関する契約および本件代物弁済の予約を締結するに当つては右松本のほか、訴外会社の他の取締役も連帯保証をしたのである。かような状況のもとでは、被控訴人の代理人米沢が控訴人について右代理権の有無を確める手段をとることなく、右代理権ありと信じたのは、もつともであると認められるから、控訴本人について右照会の労をとらなかつたことをもつて、右米沢に右のごとく信じたことにつき故意はもちろん過失があると認めることはできない。また、一般に、甲の代理人乙の代理権踰越の取引があつた場合において、乙に代理権ありとの措信の正当事由の有無は、その取引の相手方たるべき丙みずからその取引に当らず、丁に対し丙の代理人として、乙と取引をなすことを委託し、丁が乙とその取引をしたときは、まず、丁についてこれをみるべきであるが、丙が乙の代理権踰越の事実を知得していたか、又は過失に因つてこれを知らなかつたときは、丁の無過失にかかわらず、結局正当事由の成立は否定さるべきものと解するのが相当である(民法第一〇一条二項)。しかしながら、本件証拠によると、被控訴人は訴外米沢に対し控訴人の代理人たる訴外松本と本件取引をなすことを委託したことは認められるが、被控訴人に訴外松本の権限踰越の事実を知つていたこと、又はこれを知らなかつたことについて過失があつたことは認められず、かえつて、原審における被控訴本人の供述によれば被控訴人は松本の権限踰越の事実を知らず、かつ訴外米沢についてすでに判断したと同じく被控訴人も訴外松本に権限ありと信じたことに過失はなかつたものと認められる。控訴人の右主張は採用できない。

次に控訴人は、「本件物件は右予約当時(昭和三五年一月当時)市価少なくとも二〇〇万円の価値を有していたから、五五万円の手形債務につきその代物弁済の予約をなすのは、それ自体暴利行為で公序良俗に反し無効である」旨主張する。しかし、右予約は五五万円の手形債務についてのみなされたものでなく、予約時現在ならびに将来生ずべき訴外会社の手形債務につきなされたものであり、しかも、右予約当時訴外会社の手形債務が既に百二、三十万円に達していたことは前記米沢初次郎、被控訴本人の各供述により認められるので、本件宅地の市価が、たとえ予約当時控訴人主張のとおりであつたとしても、右予約が平穏公然になされたものであることについては控訴人において敢て争わない以上、右の程度宅地の市価が債務額を上廻るというだけで、直ちに、予約を暴利行為で公序良俗に反するものもしくは権利の乱用であつて無効であると認めることはできない。

そうすると、本件代物弁済の予約は有効になされたものであり、したがつて本件仮登記も実体的権利関係に合致する適法なものと認むべきである。

三、所有権取得登記の原因について

前顕甲第八号証と原審における証人米沢初次郎、被控訴本人の各供述を総合すると、昭和三五年四月頃訴外会社の既に期限の到来した手形未払い債務額が約一七〇余万円に達したので、被控訴人は松本泰三にその支払いを請求していたが、訴外会社はその支払いをすることができなかつたので、松本泰三ならびに訴外会社の取締役の一員である岸田三雄は同年八月一〇日頃、被控訴人に対し、右会社の都合を話し、折衝した際、被控訴人の代理人米沢は松本泰三等に対し、本件宅地を既に期限の到来した訴外会社に対する債権一七〇余万円とその利息全額に対する弁済に代えその所有権を取得する旨の代物弁済予約完結の意思表示をなしたこと、その際、松本は本物件は一九〇万円の価値を有する旨主張していたけれども、結局右予約完結権の行使を諒とした上同年九月末日までに一五〇万円を支払うときは右物件の買戻請求に応ぜられ度き旨希望を申出たので、被控訴人の代理人米沢は右希望を容れ、右期日までに買戻しの申入れがあるときはこれに応ずる旨を約し、同年一一月まで買戻しの申入れを待つたけれども、ついに右申入れがなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。しかして、その際松本が控訴人を代理して右予約完結の意思表示を受領すべき権限を有していたと認むべき明確な証拠は存しないのであるが、被控訴人の代理人米沢及び被控訴人は松本が右代理権を有することを信じ、かつ、そのように信ずるにつき正当な事由があつたと認むべきことについては、前記一の予約について説示したとおりである。

控訴人は同年八月当時本件物件の市価は三〇〇万円であつたから、五五万円の手形債務の支払いに代え本件物件の所有権を取得するのは暴利行為で公序良俗に反し、かつ権利の乱用として無効である旨主張するけれども、予約について判断したところと同様の理由によつて右主張は採用することができない。

そうすると、被控訴人は右代物弁済の予約完結の行使により本件宅地に対する所有権を取得したものといわなければならない。

四、控訴人は、本件物件の所有権取得登記に使用された控訴人の委任状、印鑑証明書はその目的で交付したものでないと主張する。しかし、たとえ、右書類が右所有権取得登記に使用のため交付せられたものでないとしても、よつてなされた登記が被控訴人の実体的権利関係に合致する以上、その抹消を求める本訴請求は理由がない。

以上により、右と同旨の原判決は相当であるから、民訴第三八四条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平峯隆 裁判官 大江健次郎 裁判官 北後陽三)

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